人生は「ニャン!」とでもなる。

神奈川在住、アラフォーゲイのブログ。心理占星術/潜在数秘術®/エサレン®ボディーワーク

【名言】貞操観念は低い方が人間楽になる

アメブロ記事(2017/10/5)の再更新です。

 

おはようございます。

アクセスコンシャスネス™バーズファシリテーターの

まるのすけです。

 

 

先日セッションを

受けに来てくださった

お客さんから、

こんな言葉をいただきましたー!

 

 

 

貞操観念は低い方が

人間楽になる気がします

 

 

 

image

 

 

 

うわー!

めっちゃ名言!!

と思って、

シェアすることにしました。

 

 

きっと同意できないひとも

いるだろうけど(笑)

 

 

でもこれ、

 

 

誰彼かまわずヤれ!

ってことではないよ。

 

 

もしそうだとしたら、

それこそ

思考の枠にはまってる証拠。

 

 

ちなみに・・・

以前の俺は貞操観念、

めっちゃめちゃ高かったんです。

いまでは信じられないくらい。

 

 

 

愛するひととしか

しません!!

 

 

 

とか言ってたな滝汗

 

 

それに比例して、

頭もガッチガチだった。

自分の常識が世界の常識(笑)

そんなんで、

周りと調和できるわけないよね。

 

 

それがね、

場数を踏むごとに

貞操観念は低くなっていき、

これまた比例するように

ジャッジすることも

少なくなっていった。

 

 

特に、セクシャリティに関しては。

 

 

これまで相当の場数を

踏んできたわけなのですが、

ということはつまりね、

相当な人数と濃厚な接触を

重ねてきたわけですよ。

 

 

自分は普段ひとに見せない

自分を見せるし、

相手も普段ひとに見せない

自分を見せてくれる。

 

 

見せないどころじゃなく、

「見せたくない」

そういう部分も

あからさまにしなきゃ

ヤれないでしょ?

 

 

そしたらさ、

自分の思い込みや常識も

どんどん溶けていった

わけなのです。

 

 

でも、先にも書いたように、

だからと言って

誰彼かまわずヤれ、

って言うんじゃないのよ。

まあ、ヤってみて

わかることもあるけどさ(笑)

 

 

いつでも

どこでも

誰とでも

ヤれる

 

 

 

余裕を持つ

 

 

 

って言えばいいかな。

 

 

そのくらい、

セ ックスに関してオープンだと

人生は確実に楽になると思います。

 

 

性に関するブロックって

相当数のひとが持ってるからね。

相当数どころじゃないよね、

100パーに近いんじゃないかな?

 

 

とはいえ、

上記のように「余裕」を持てば

いいだけの話で、

実際ヤる必要などないのです。

 

 

俺は大抵のひととは

ヤろうと思えば

(思えば、の話ですよ)

いつでもどこでも

ヤれちゃいますが、

付き合ってるひとがいるときは

ヤりません。

 

 

ただそれは、

浮気しちゃ、

不倫しちゃいけないから

ヤらないのではなく、

ただ他のひとが

目に入らなくなるからー。

 

 

それが俺にとっては自然な現象。

だからヤらない。

ただそれだけ。

 

 

でも、

相手が浮気しても

気にならないかな。

今は、ね。

 

 

昔は嫌だったけど、

今は

「したきゃすればいいじゃん」

というスタンス。

したいと言っているものを

するななんて言って

相手のやりたいことを

奪う権利なんてないもの。

 

 

まあ、

俺と付き合うヤツは

俺にゾッコンになるはずなので、

そもそもそんなことには

ならないと思うけどねーニヤニヤ

 

 

とはいえ

(「とはいえ」だらけだけどw)、

いろんなひととヤッてみるのもまた、

実践の中での

気付きや学びが多いので、

ある意味オススメでーす。

 

 

ヤりたい気持ちがあればね~。

ヤりたいのに罪悪感で

抑えてたりすると、

後々大変かもしれません。

宇多田ヒカルが代弁してくれた、俺のココロの底にある深い深い闇。

アメブロ記事(2017/9/29)の再更新です。

 

ちょうど1年前、

2016年9月29日の記事を再更新。

 

 

この記事、

FBではいいね500件超え、

シェアも15件ぐらいだったかな?

いきました。

 

 

実はこの記事アップすること、

とても怖かったんだけど。

 

 

重すぎないかな、とか

暗すぎないかな、とか

自分で自分で書いた記事を

ジャッジしてしまって。

 

 

怖くてアップしてすぐに

友達にスーパー銭湯に

連れてってもらって

何時間もスマホ観ないように

してました(笑)

 

 

でも、蓋を開けたら

実にたくさんのひとが

読んでくれて!

 

 

これからセクシャリティのことを

もっと発信しようと思って、

何日か前から、

1年ぶりにこの記事を

再更新しようと思ってました。

 

 

そしたらね、奇しくも昨日、

とんねるずの

みなさんのおかげでした?で、

 

 

 

保毛男田保毛男

 

 

 

が復活したとかで、

一部のLGBTの間では

話題になっていました。

 

 

僕個人としてはもう

 

 

 

ゲイだからって

何なんだ

 

 

 

と言える強い意志が

ついたこともあり、

特に強い嫌悪感なんかは

出てこなかったんだけど、

それを観ていたかもしれない、

特に若い世代のことは気になって。

 

 

というのも、自分は当時

そのとんねるずの番組の影響もあり、

ゲイ=気持ち悪い

→自分も気持ち悪い存在?

→自己否定・自己嫌悪・自己卑下

などのループにはまっていったから

(そんな簡単に言葉にできるものでも

ないのだけど)、

同じようなひともいるのでは?

と思ったのです。

 

 

現に、Twitterなんかでは

LGBTの一部の方々が、

同じようなこと書いてたし。

 

 

表現の自由はあるだろうけど、

笑うことと嘲笑うことは違うし、

あのキャラは無意識的にでも

強烈なイメージとして

刷り込みされるでしょ。

 

 

この時代に

あれを復活させた意図は

ちょっと図りかねます。

 

 

俺みたく

ゲイだから何なんだ

と言えるヤツばかりではないし、

むしろそう言える方が

圧倒的に少ない世界の中、

特にストレート(異性愛者)に

向かって発信するのは

難しいんだよね。

 

 

ゲイとしかつながってない

ゲイがTwitterでツイートしても

ストレートには届かない。

内輪だけで終わっちゃうの。

 

 

幸い俺のブログは

女性を中心に

ストレートの方たちが

多く読んでくださっているので、

思ったことを書いてみました。

 

 

ただ、俺の意見が

ゲイの代表的意見でもないので・・・

 

 

ひとまず、よかったら

1年前の記事、読んでくださーい!

今日書いたこととは

また全然違う内容だけど。

そして、心境の変化は大分あるけど。

 

 

お時間あれば、

よろしくお願いしますm(_ _ )m

 

 

 

■□■□■□■□■□■□■□■□

 

 

こんばんは。

アクセスコンシャスネス®バーズファシリテーター、

アクセスコンシャスネス®バディプロセスファシリテーターの

まるのすけです。

 

 

image

 

 

昨日、宇多田ヒカルが

8年ぶりにオリジナルアルバムを

出したらしいのだけど、

その中の1曲が、

 

 

 

ストレートの同性に

恋をしてしまった

ゲイの気持ちを唄った歌

 

 

 

とのことで、

早速聴いてみました。

 

 

 

 

 

か、歌詞が・・・

共感できすぎてヤバい。

歌詞の一部をちょっと紹介します。

 

 

笑顔見れる 距離にいれる
それだけでいい
友達なら側にいてもおかしくない
君に触れるあいつ見てる
報われない想いばかりが募る夜更けは
どうしたらいい?

気付かないフリとか
中途半端な優しさに 泣きたい

 

 

「中途半端な優しさ」とか、

めっちゃわかる・・・(;´Д`)

 

 

Oh 友達にはなれないな にはなれないな Oh
Oh 何故ならば触りたくて仕方ないから Oh
Oh 友達にはなれないな にはなれないな Oh
もう君の一番じゃないと意味がないから Oh

 

 

ここまでは、

男女の恋愛とも

捉えられるような内容とも

言えるのだけど、

極めつけが・・・

 

 

恥ずかしい妄想や 見果てぬ夢は
持っていけばいい 墓場に

 

 

 

持っていけばいい・・・

 

 

 

墓 場 に

 

 

 

この感覚は

ストレート(異性愛者)のひとには

なかなか理解されないと思う。

一生誰にも言えない苦悩。

それを見事に表現した宇多田ヒカル。

恐るべし・・・

そして、ありがとう。

 

 

それでね、

この曲について、

Twitterで宇多田のもとに

ファンからあるツイートがあり、

その彼女の返事がね・・・

 

 

 

What makes you think I'm "straight"?

(なぜ私を「ストレート」だと思ったの?)

 

 

 

すなわちね、宇多田は

 

 

 

ストレートだと

言ってもないのに、

なぜ私をストレートと

決めつけたの?

 

 

 

ということを

そこで言いたかった、らしい

(あるブログによる。本人談ではない)。

 

 

これ、

すごーく示唆に富む発言なのよ。

少なくとも俺にとっては、ね。

 

 

 

宇多田、

グッジョブ!

 

 

 

って、頭撫でたい気分

(何様w)。

 

 

というのも、

この世界は

「男女が愛し合う」ことが

大前提となっているから。

 

 

男と男が愛し合う、

女と女が愛し合う、

は蚊帳の外。

 

 

え?

そんなことない!!

私(俺)はゲイにも理解あるよ!

というそこのあなた。

 

 

会う男のひと、会う男のひと、

女性が好きだと決めつけて話してない?

会う女のひと、会う女のひと、

男性が好きだと決めつけて話してない?

(明らかにゲイやビアンだと

わかるひとは除きます)。

 

 

子どもを持つお母さん、

例えばそれが男の子だとして、

「好きな女の子できた?」とか

って聴いたりしてない?

 

 

仮にその子に

好きな男の子がいたとしたら、

その時点でその子は

「え…僕っておかしいの?」と

悩み始めるかもしれません。

「僕は○○くんが好き」なんて、

絶対誰にも言えないことだと、

胸にしまって

二度と心を開くことは

ないかもしれない。

恋愛に関してはね。

 

 

もちろんね、

異性愛者以外を

排除しようなんて気持ち、

その問いかけの中には

一切含まれていないことなんて、

よくわかってる。

よーくわかってる。

 

 

だけど、

その言葉の中に、

異性愛者以外の存在は

おそらく、ない。

おそらくじゃないな。

 

 

 

ない。

 

 

 

当事者がカミングアウトしてはじめて、

存在としてのそれが

浮かび上がってくる。

さもなければ、

存在として成立することなんて、ない。

 

 

そんなことで?って

思うかもしれないけど、

俺からしたら

そうやって決めつけられること、

とても暴力的に感じてしまうの。

 

 

俺もこうして「ゲイでーす」って

表明してはいるけれど、

そんなの知らないひとにはさ、

初対面では

「結婚は?」「彼女は?」

とかフツーに聴かれるよ。

 

 

それ、いつも

「いちいちめんどくせーな」

ってイラッときてたんだけどね、

この間のかなしみ祭りの時に、

 

 

 

存在してないと

思われることが

悲しいんだな

 

 

 

って気付いたの。

 

 

ameblo.jp

 

 

そういう意味で、

ゲイと自覚してから俺はずっと、

存在がなかった存在だった。

いまでもそう思うことは多々あるし、

いつまでそれは続くのだろうと思う。

 

 

ちょうど先日見た統計に、

こんなのがあったの。

「セクシャルマイノリティが

『周りにいる』と認識しているひとの割合」*)

 

 

それね、たった・・・

 

 

 

6.1%

 

 

 

しかないんだって。

 

 

ちょっとこれにはビックリした。

俺は仕事中に限っては、

100%認識されてる。

でもそっか、

街歩いてたら、そんな認識ないんだよな…

 

 

ジジババたちが含まれてるから

仕方ないと言えば仕方ないけど、

10代20代でも1割台。

クラスに1人はいると言われてるのに、

認識はこの程度。

 

 

それは、うちらが

声をあげてないことにもよるけど、

声をあげづらいということにもよる。

俺はそこで、

あげづらいところをあえて、

声をあげてみたわけなんだけど。

 

 

自分を誤魔化すことに

もう耐えられなかったから。

 

 

「結婚は?」

「彼女は?」って、

当たり前に暗黙の了解で

 

 

 

あんた女が好きなんでしょ

 

 

 

って言われ続け、

決めつけられ続けたら、

そりゃ「違います」とは

なかなか言えません。

心閉ざします。

貝になります。

少なくとも俺はそうだった。

 

 

「お前は自分のことを話さない」

そんなこと言われたこともあったけど、

話さないんじゃなくて、

話せなかった。

話したくても話せなかった。

本当は話したくて話したくて、

仕方がなかったんだよ。

 

 

男(女)は女(男)を

愛するのが当たり前だ

というこの世界の暗黙のルール、

強い強い無言の圧力に、

当時の俺はなす術もなく、

人間関係を諦め、放棄した。

 

 

image

 

 

年末年始、

ハワイに行った時、

とてもうれしいことがありました。

 

 

日本では当たり前に聴かれる、

「彼女いる?」という質問。

それがね、ハワイでは、

「彼氏いる?彼女いる?どっちー?」

ってね、選択肢のある質問をくれたのよ。

質問してくるひとたち、みんなが!

 

 

ゲイがつくったリトリートに

滞在していた、ってのもあるけど、

それでもゲイよりノンケのが多かったし、

その中でそうやって聴いてくれたこと、

それだけで、

存在を許されている気がしたんだよね。

 

 

まるちゃん、

またそんなこと言って、

繊細なんだから~、

とか思うかもしれない。

 

 

けどね、

「彼女は?」「結婚は?」「子どもは?」

とかって、とっても日常的な会話。

性の話って

セ ックスの話だけじゃないでしょ。

 

 

性の話って、世の中にあふれてる。

そこら中にあふれてる。

性に関わる話を耳にしない日なんて、

生まれてきてこの方、

1日たりともなかった。

 

 

その中で、毎度毎度

「存在しないもの」と扱われたら、

どうなるか。

 

 

その度に悲しんで。

その度にイラついて。

その度にウソついて。

 

 

あるひとは心を病んで。

あるひとは世間体のために、

ウソついて結婚して。

あるひとは感情を麻痺させて、

何も感じなくさせて、

灰色の世界を生きていったり。

 

 

それはそれは

自己肯定感なんて低くなって当然だし、

鬱になって自殺するのも無理はない。

セクシャルマイノリティの

自殺未遂率はそうでないひとの実に6倍。

 

 

有名人でもない、

1ブロガーの1記事で、

そんな世界が変わるなんて

到底思ってないけど、

マイノリティが生き辛い世の中は、

もううんざり。

それは、

セクシャルマイノリティに限らず、ね。

 

 

この世界が

窮屈で窮屈でたまらないから、

だから俺はこうして訴え続ける。

表現し続ける。

 

 

彼女がいないといけませんか?

結婚してないといけませんか?

子どもがいないといけませんか?

 

 

もうこれ以上、

多数派の論理を押し付けないでくれ。

 

 

もうこれ以上、

人生の中で

あらゆる定義付けをしないでくれ。

 

 

もうこれ以上、

そんなくだらないこと

自ら人生を終わらせるようなひとが、

もう二度と出てこないように・・・

 

 

俺は、

誰がどうあっても、

誰が何をやっていても許される、

そんな世界に、

みんなでしていきたいんです。

 

 

 

 

 

文中の統計データは、

*釜野さおり・石田仁・風間孝・吉仲孝・河口和也 2016 『性的マイノリティについての意識-2015年全国調査報告書』 科学研究費助成事業 「日本におけるクィア・スタディーズの構築」 研究グループ(研究代表者 広島修道大学 河口和也)

から引用させていただきました。

人生に無駄なことなんて、何ひとつない。

アメブロ記事(2017/2/23)の再更新です。

 

おはようございます。

アクセスコンシャスネス®バーズファシリテーター、

アクセスコンシャスネス®バディプロセスファシリテーターの

まるのすけです。

 

 

最近、とある知り合いに

「君のあの時間は無駄だったね」

などと間接的に言われました。

 

 

まあ、気にしてないんだけど。

でも、気にしてなかったら、

それをネタにブログなんて書かないか。

 

 

 

気にしてます!

 

 

 

と書いておこう(笑)。

 

 

image

 

 

これ、8年前の俺。

ちょっと写真が不鮮明だね。

許せ。

 

 

最後の(?)学生時代でーす。

鍼灸の専門学校に行ってた頃の。

 

 

そして、

今俺は鍼灸師の仕事はしてません。

理学療法の専門学校に

3年間通ったけど、

理学療法士の仕事も今はしてません。

世間的には

そこそこの大学に行ったけど、

大学で学んだことなんて

全く覚えていません。

 

 

が、果たしてそれが

無駄だったかというと・・・

俺の答えは

 

 

 

NO!

 

 

ノー!!

 

 

 

そこで得たのは知識だけじゃない。

資格だけじゃない。

「そんなもの」より、

もっともっと沢山のことを吸収した。

見て、聴いて、感じた。

 

 

それらすべてが、

今の自分に活かされてる。

学生時代、

今のような人生なんて

全く想像だにしていなかったけど、

学生時代にいろんなことを経験したから

いまがある。

 

 

すべては繋がってる。

それこそ、

去年会社を立ち上げてからの

今までの悶々している時間も、

無駄じゃないと思ってるし。

 

 

 

コソコソグチュグチュ

陰で言ってる

お前のその行動の方が、

よっぽど無駄じゃー!!

 

 

 

これが言いたかっただけかも(笑)

 

 

はっ!

俺もここに書いた同じ穴のムジナ?

いやいや、

直接言われたわけじゃないので、

伝える術がないのよねー。

と、言い訳(笑)

 

 

いくら回り道をしたと思っていても、

それはそのひとにとっての近道、

必要な道なのだと思うのです。

 

 

だからねー、

いくら回りに何を言われようと、

自分の中の自分に何を言われようと、

無駄とか思う必要はないと思う。

それをあなたが「選択」したんだもん。

その自分を認めてあげて。

 

 

なんだか今日はジメジメだね。

いつもささっと洗濯物乾くのに、

今日は全然乾かなさそうだ。

自分をごまかすことは【 犯罪 】です。

アメブロ記事(2016/10/10)の再更新です。

 

おはようございます。

アクセスコンシャスネス®バーズファシリテーター、

アクセスコンシャスネス®バディプロセスファシリテーターの

まるのすけです。

 

 

新幹線で広島に向かってます〜。

 

 

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広島まで3時間!!
長いからグリーン車にしちゃった。

 

席がデカくて快適です。
自分の心地良さ最優先( ´ ▽ ` )
 
 
実はね、
今朝ブログを
書いては消し、書いては消し、で
結局そのブログは途中まで書いて
アップしませんでした。
 
 
 
こんなの
アップしちゃ
ダメ
 
 
 
って、
頭の中の誰かさんがささやいてね。
 
 
客観的に見たら、
毒でもあり、
気付きにもつながるような内容。
 
 
ただ、
読むひとが読んだら、
批判とも捉えかねられない。
 
 
結局、途中でパソコンを閉じた。
自分の想いは一旦傍に置いた。
 
 
そしたらね、
タイトルのごとく、
 
 
 
自分を
ごまかすのは
犯罪
 
 
 
って言葉が降りてきて(´Д` )
 
 
表現しないことは罪であり、
この世界に対する冒涜だと。
 
 
何を書いても、
何を表現しても、
100人いれば100通りの
捉え方が存在する。
批判するひとも一定数の割合で現れる。
いまある世界はそんなものだ。
 
 
そこでくじけて、
そこで自分をごまかして、
表現することをやめたら、
自分はおろか、
世界も何も変わらない。
この世界に対する怠慢でもあるって。
 
 
自分と世界を
信頼できてなかったんだね。
いま気付いたよ。
 
 
お蔵入りしたブログは、
そのうち日の目を見ることに
なりそうです。 
 
 
というかここ数日、
毒が溢れてたまらないのです。
 
 
自分の中の破壊と再生。
それはきっと、
世界の破壊と再生にもつながる。
破壊なくして再生などない。
 
 
毒も世界を構成する要素の
一部なんだもんね。
 
 
毒も愛そう。
毒を吐く自分も愛そう。
そしたらきっと、
もっともっと愛されるよね。
自分からも他人からも宇宙からも。

やさしさのすれ違い。

アメブロ記事(2016/10/4)の再更新です。

 

こんばんは。

アクセスコンシャスネス®バーズファシリテーター、

アクセスコンシャスネス®バディプロセスファシリテーターの

まるのすけです。

 

 

これから神奈川に帰りまーす。

クラスは無事終了ウインク

 

 

ここ数日いろんなことがあって、

山形入りする直前にもいろいろあって、

仕事は仕事だから

何があってもできるだろう、

と思ってはいたものの、

ちゃんとクラスできるかな?

って不安に思うところがありました。

 

 

だけど、ぜんぜーん大丈夫だった。

参加してくれた方々、

ありがとうございました。

楽しい時間をありがとうちゅーデレデレちゅー

 

 

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初めての構図(笑)。
午前中は写真撮り忘れた(´Д` )
 
 
ひとってさ、
やさしさのちょっとしたすれ違いで、
人間関係を破綻させてしまうことが
よくある。
 
 
特にいまは
メールやSNSを介した文字ベースの
コミュニケーションが中心だから、
必然的に誤解は生まれやすい。
 
 
今までだったら
知り合えないようなひとたちと
簡単に知り合えるようになった反面、
簡単にその関係性が崩れ去るという
諸刃の剣的な
コミュニケーションのかたちだと
思うんだよね、いまって。
 
 
俺は激しい性格だから
そうやって
今まで散々関係をぶっ壊してきたし、
今回も危うくそうなるところでした。
 
 
リアルができてよかったな、
って本当に思った。
ちゃんと顔見て、
相手の目の奥にあるもの、
それを見ないとわからないものって
実は沢山あると思う。
 
 
いくらエネルギーに敏感と
言われてるとは言え、
そんなのには限界はあるよね。
そう感じる出来事が
山盛りのここ数日でした。
 
 
ようやく自分の繊細さを
認められるようになった俺は、
同じように繊細さを
感じられるようなひとを
好む傾向にある。
 
 
逆に繊細さが感じられないひとには
苦手意識があります。
やさしさを感じられないから。
繊細さの基準なんてものは、
この世のどこにもないのだけれど、
俺の中では繊細さが
やさしさのひとつの要素なんだな、
ってブログ書いてる途中に
気付きました。
 
 
今回リアルで会えて感じたのは、
やさしさのすれ違いが起きてたんだな、
ってこと。
 
 
文字では
俺的にありえないようなことが
それはもう沢山沢山
書かれていたんだけど、
リアルしたらエネルギーが全然違った。
 
 
不器用なのか、
エネルギーや思ったことを
言葉に乗せることが苦手なのか、
とにかく
やさしさの定義や表現方法が
単に違うだけなんだ
と気付いたのでした。
 
 
そしたら、
昨日までのことは
ぜーんぶどうでもよくなっちゃってね。
この変わり身の早さが
俺らしいっちゃ俺らしいんだけどウインク
 
 
人間、誰しもやさしさを
持っていると思うんです。
「誰しもじゃない」
というひともいるけど、
それは人間の形をした
別の生き物なんじゃないかと思う。
 
 
ただ、
誰しもやさしさを持っているとは言え、
定義も表現も何もかも違うから、
そこですれ違いが生じる。
特に日本人はね。
はっきり言わないから。
「空気読めよ!!」になるから。
 
 
全くもって読めないひとは、
俺も苦手です。
正直、一緒にいてキツい。
それが本音。
 
 
「それ、ないよね」って伝えても、
全く伝わらないひととは
やっぱり一緒にいられない。
心底嫌いになることはないけど、
やっぱり一緒にいられない。
 
 
だけど、
単に不器用なだけだったら
(註:あくまで俺基準です)
伝え合うのを諦めなければ
やさしさは伝わるんじゃないのかな。
「諦めなければ」
という条件付きだけど。
 
 
今回のことで、
俺はそんなことに
沢山気付かせてもらったのでした。
本当に感謝。
 
 
発端はね、
俺が素直に不快な感情を
伝えてみたところから
始まったんだけど。
それも俺の中では
「諦めない」だったから、
チャレンジしてよかったな、と。
今までだったら、
「このひとには伝わらない」って
最初から試合放棄してたからね。
 
 
俺も伝えることから逃げないで、
いろんなひとと向き合う
練習中なのです。
まだ一緒にいたいな、
って思えるひとだけだけどね。
正直、練習は大変です滝汗滝汗滝汗
 
 
結局は、
いろんなことを
諦めたくないんだよね。
おめでたいの、俺。
俺のところに来てくれるひとには
本当に悪いひとはいない、とか
そんな風に思っちゃうの。
往生際が悪いとも言うかもだけど。
 
 
「そんなのありえねーよ!」
っていう自分もいるもん。
でも、そういう、
ある意味で綺麗事を言う自分が
勝ってしまうのです。
 
 
でも、
その自分もまるっと受け入れて、
さらに変化していきたいな、
って思います。
またしっぺ返し
喰らわないといいけど笑い泣き笑い泣き笑い泣き
 
 
さーて、ブログ書けたから
芋煮弁当食うぞーニヤニヤニヤニヤニヤニヤ
 
 
{D8DC25DE-C49B-4792-B5B6-E562A5C24842}
 
いただきまーす♡

ともだち

アメブロ記事(2016/10/3)の再更新です。

 

こんばんは。

アクセスコンシャスネス®バーズファシリテーター、

アクセスコンシャスネス®バディプロセスファシリテーターの

まるのすけです。

 

 

仕事で山形に来ています。

さっき到着したんで、

蕎麦食って温泉入って寝るだけ。

明日1日仕事して、そのまま帰ります。

 

 

今朝、またもや自分の想いを

ぶちまけてみたわけですが。

 

 

正直、

何で俺はこんなこと書いてるんだろう、

とも思う。

 

 

20代の頃、

俺はプライベートで

異性愛者と交わることはほぼなかった。

ゲイ友とばかり過ごしていた。

 

 

それは男が好きだから、

というわけではなく、

単に居心地が良かったから。

 

 

セ ックスについて

ジャッジすることはあっても、

男が男を好きであるということを

誰もジャッジしない。

 

 

四六時中セクシャリティを隠していた

俺にとって、

そこで過ごす時間は、

本当に心の底から安らげる時間だった。

 

 

なのに、

何で今こんなことしてるんだろうね。

いろんな想いがあるけど、

うまく言葉にならない。

 

 

そんな中、

秋田に住む10年来の友達、

みなちゃんが、

とてもうれしい記事を書いてくれました。

 

 

ameblo.jp

 
 
 
こんなともだちが、
学生時代にほしかった。
 
 
俺は高校の頃、
男が好きな自分に気付き、
大学に入って
自分の性的指向を自覚した。
 
 
大学の時、
いろんな大学のひとが集まる
メーリングリストに加入した。
 
 
そこではじめて、
ノンケにカミングアウト。
なぜか俺は全員男を選んだ。
 
 
全員、一応受け入れてはくれた。
「別にいいんじゃない?」って。
その後一切、
彼らはそのことについて
触れてくることはなかった。
 
 
ホントはもっと
いろんなことを語り合いたくて
いろんなことを知りたくて
いろんなことを知ってほしかったのに。
 
 
大学を出て、
専門学校に2回行ったけど、
そこでは数人の女子に
カミングアウトして、
お互いの恋愛相談をしたり、
良き理解者になってくれた。
うれしかった。
 
 
ただ、
こういう時、こうしてほしかったな、
というのがいつもあったんだ。
 
 
性の話って、
ダイレクトではないにせよ、
授業中しょっちゅう出てくる。
 
 
ゲイを笑いのネタにすることは、
それはかなり頻繁に。
 
 
お前ら男同士で仲良くして
気持ち悪いな〜とか
 
 
お前らホモかー?!とか
 
 
そんな話は意外に多かった。
みんな笑ってスルーだよね。
だけど、俺はそれを聴く度に、
かなしくてかなしくて
いたたまれなかった。
早くその話題が終わるように、
祈ってた。
 

でもね、

「そういうのやめてください」

って言えなかった。

今ならいくらだって言える。

今でも勇気は要るけど、

今なら言える。

 

 

だけど、

当時はそんなこと言ったら

自分がゲイだってばれるから、

そんなこと言うことはできなかった。

 

 

そこで、

俺は代わりに友達に言ってほしかったの。

それ、おかしくないですか?とか。

笑うところですか?とか。

 

 

今でもさ、

何かのセミナーに参加したりすると、

たまに同じようなことは起こる。

性の話は

笑いのネタにしやすいんだろうな、

とは思う。

 

 

それが原因で、

マクロビのセミナーは

途中で机をガン!!と叩いて

出てったこともあったし(^_^;)、

アロマのセミナーも

それ以降2度と行くことはなかった。

 

 

ホント、今なら言えるんだけどね、

 

 

 

ひとの前に

立つようなひとなら

そんな話題で

笑いをとるようなこと

やめてください

それはどうかと思います

 

 

 

ってね。

 

 

上のみなちゃんのブログ、

新幹線の中で泣きながら読んで、

ああ、きっとみなちゃんなら

そんな発言もしてくれるだろうな、

って思えた。

勝手なイメージだけどね(^_^;)

 

 

こんなにクドクドと

性に関することを

書き連ね続けていくこと、

正直悩んだ。

重いもん。ネチっこいもん。

ずっとずっと読めるようなものでは、

決してないと思う。

 

 

だけど、

こうしてホントに親身に、

まっすぐな愛を送ってくれる

ひとがいるから、

俺はこれからも書き続けるよ。

 

 

万人にわかってもらおうだなんて、

到底思ってない。

万人が万人、理解できることなんて

この世にはないと思ってる。

 

 

けどね、

俺のこと、

マイノリティのこと、

こうして心から

わかろうとしてくれるひとがいること、

それだけで俺は幸せで、

俺にとってはかけがえのない宝物です。

 

 

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本当に

本当に

ありがとう。

たとえ女の子に告られたとしても、絶対に俺は笑ったりはしない。

アメブロ記事(2016/10/3)の再更新です。

 

おはようございます。

アクセスコンシャスネス®バーズファシリテーター、

アクセスコンシャスネス®バディプロセスファシリテーターの

まるのすけです。

 

 

昨日は友達が

うちまでセッションしに来てくれて、

その後夜まで

行きつけの近所のカフェでおしゃべり…

友達はバイセクシャルなんで、

セクシャリティの話を中心に、

いろんな話に花が咲いて、

とても楽しい時間でした(´∀`)

 

 

image

 

 

デザートのパンケーキを

真剣なまなざしで撮る俺(笑)

 

 

image

 

 

食べるまでに相当時間がかかりました(笑)

 

 

image

 

 

クレームブリュレパンケーキ。

美味かった(´∀`)

 

 

友達とは、

先日書いたブログについての話もしました。

 

 

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このブログ、

Facebookでは16件もシェアされ、

453件ものいいね!がつきました。

 

 

多分、俺史上、最高。

数だけで一喜一憂するのも・・・

とは思うものの、

たくさんのひとに目に触れ、

何かに気付くきっかけになったかな、

と思って、

すごくうれしかった。

うれしかったんだけどね・・・

 

 

家に帰って、

昨日のブログ書き終わって、

FBのトップに上がってきた投稿。

 

 

FBによくある鑑定アプリを

シェアしたものだったんだけど、

同性愛を笑いものにしていた。

 

 

彼ら彼女らには、

意図的に笑うつもりなど

なかったのだろう、

とは思う。

だけど、意図的ではなく、

無意識の部分から

発せられたものだったから、

余計に衝撃は大きかった。

 

 

 

無意識が

そのひとの

本当の姿を

表してくれるから。

 

 

 

俺の記事に超いいね!をつけたり、

コメントくれたりしてたけど、

あなたにとってはここ、

笑うところなんだ?

そうか。

そうか・・・

 

 

 

お前ら全員

死ねばいい

 

 

 

激しい激しい怒りの後、

言いようのない悲しみと絶望感、

そして諦めと失望。

いろんな感情が

ごちゃ混ぜになってやってきて、

ただただそれを、

俺は感じ切るほかなかった。

 

 

かなしみとさみしさが

先日の魚座の満月以降、

どんどん炙り出されてきてるんだけど、

それを越えた、絶望感と失望感。

今も半ばボーっとしながら、

時折放心状態になりつつ、

このブログ書いてます。

 

 

わかった風なことを言って

中途半端に理解ある態度を

するぐらいなら、

だったら正面切って

笑ってくれた方が

俺にとってはマシだった。

 

 

昨日、「違和感」について

ブログを書いたけど、

今回のことでまた、

自分が感じている

「違和感」のことがよくわかった。

 

 

そのひとたち自身と

そのひとたちが発する言葉の

エネルギーの差異、

俺はそんなのとっくに

感知していたはずだった。

 

 

違和感に気付いて、

そっと離れればよかったのに。

話せばわかる、

話せばわかり合えると思ったのか。

話せばその違和感の溝は

埋めることができるのだろうか。

今の俺には、そこまではわからない。

 

 

昨日一緒だった友達に、

上に書いた出来事を

メッセージで送った。

そしたらね、

友達はこんな言葉を返してくれたんだ。

 

 

 

私さ、

本当に人を愛する経験をすると

誰かの恋や愛を笑うって発想が

わかないと思うんだよ~

 

 

 

俺は誰かを愛したことがあるか?

と聴かれたら、

今生ではYES!と

大手を振って言うことは

決してできない。

 

 

けど、けどね。

数少ない女の子からの告白に、

俺は笑って返すことなんて、

しなかったよ。

 

 

むしろ俺はうれしかった。

どうしていいかわからなくて、

困ったりはしたけど、

その想いは真剣に受け止めたかった。

 

 

ひとを想う気持ちは、

同じだと思ってたから。

ひとを好きになる気持ちは、

同じだと思ってたから。

 

 

でも、

決して同じではないし、

同じものなんてない。

「同じだよ」と言いながら、

全く同じではない

ひとたちの存在も知った。

 

それこそ、

それが「多様性」なのかな、

なんてことも思う。

かなしいけど。

せつないけど。

 

 

まずは

出てくる感情をしっかり味わって、

そしてまた前に進みます。

人生に無駄な経験など、やっぱりひとつもないのだ。

アメブロ記事(2016/9/28)の再更新です。

 

おはようございます。

アクセスコンシャスネス®バーズファシリテーター、

アクセスコンシャスネス®バディプロセスファシリテーターの

まるのすけです。

 

 

昨日書いたブログ~↓

 

 

ameblo.jp

 

 

えーとね、

これ、まだ片手間です。

 

 

「あなたのもとに人が集まらない理由」

の単なるひとつでしかありません。

わからない言葉で書いていても、

ひとが集まっちゃうひとも

いるからね(・∀・)

他の要素については、

また気が向いたら書きますね~。

 

 

さて、

昨日はその記事書いてるうちに、

 

 

そっかー、

あの仕事をしてたから、

今こうして俺は

こんなこと書けてるんだー!

 

 

って、気付きがありました(´∀`)

 

 

その仕事とは、

 

 

 

理学療法士

 

 

 

の仕事。

 

 

image

 

 

↑理学療法士時代に取った資格の写真

(30歳。若いわーw)。

仕事してる写真探したけど、

どっか行っちゃった・°・(ノД`)・°・

白衣着てコスプレみたいだったのに(笑)

 

 

ココロの底からは

「好き」とは言えない仕事。

「嫌い」ではなかったけど、

本当にやりたいかと自分に問うたら、

それはNO。

 

 

だから、とってもきつかった。

割り切れないんだよね、俺。

「生活のため」とかって。

結果的に、生活のために

なってしまっていたけれど。

 

 

他にやりたいことも

見つからなかったから。

ずっと「やりたいこと探し」を続けて、

そして今も続けているのです。

死ぬまでこんなかね~(´Д`;)

 

 

15年間続けた仕事の中で、

得たモノなんて全然ない!って、

俺はひどいジャッジを

自分で自分に下していました。

 

 

理学療法士の

 

 

 

底辺

 

 

 

だと思ってたから。

自分のこと

(どんだけ自己肯定感低いんだw)。

 

 

でも、

昨日ブログ書いてく中で、

ひとに伝える力、

難解なことをかみ砕いて

簡単な言葉で説明する能力、

それは仕事を通して

培ったものもあるのかもー!!

って気付いたの。

 

 

仕事は

専門用語のオンパレードだった。

上司や同僚と話すとき、

ドクターに質問するとき。

カルテを書くときはもちろんね。

慣れるとそれはそれはとっても楽。

略語とかも使えるし。

 

 

でも、それをね、

患者さんに伝えるとなると・・・

それはそれは難しいこともありました。

特にお年寄り。

 

 

「ここまでかみ砕けば伝わるだろ」

って思っても、

伝わらないことしばしば。

 

 

おまけに、

相手の言っていることもわからない。

 

 

「どこか痛いところはありますか?」

「腰」

「この辺ですか?」

「そこじゃない。腰」

「じゃ、この辺?」

「違うわよ、腰って言ってるでしょ!」

(と言い、指差す)

 

 

おい!そこは・・・

 

 

 

ケツ

 

 

 

じゃねーかよヽ(`Д´)ノ

とか、ね。

 

 

学生の頃、

病院実習の時なんかは苦労したねー。

 

 

 

ひとの腰というのものは

どこまで腰なのだ?

 

 

 

って悩んだね。

いや、悩んだというのは冗談だけど、

教科書に載ってる

「腰部」の定義とは違うのね。

 

 

 

ひとの数だけ腰が存在する

 

 

 

みたいな。

 

 

そんなこんなで、

俺は仕事でもまれ、

説明する力、推察する力、

などなどを身につけて行ったのでした。

 

 

あ、他にもいろいろあったわ。

いま気付いた。

それはまたそのうち。

 

 

自分の中では

同業者の底辺レベルで

やっていたと思ってた仕事でも、

コツコツやり続ける中で

身についた能力は

いろいろあったのだよね。

 

 

リハビリの専門知識とか技術とかが

全然(という自己評価)だし、

専門職と言ったら

専門知識・技術があってナンボだろ、

って思ってたから、

それ以外のことになんて

全く気付かなかったんだよねー。

 

 

そう考えると、

何をやっていても人生、

無駄なことや無駄なものなんて

ひとつもなくて、

それはそのひとを構成する一要素として

いつか何かの輝きを放つ

宝石になることもあるのだなー、と

実感したのでございました。

 

 

ホント、15年間

 

 

 

クソ

 

 

 

だと思ってたから。

自分の仕事面に関してはね。

 

 

クソが気付いたら、

宝石に変わっていたよ。

みなさんも、

いつか自分の中の宝石に

気付けるといいですね~(´∀`)

 

 

気付くか

気付かないか

 

 

それは、あなた次第。

 

 

僕が守る

アメブロ記事(2016/9/25)の再更新です。

 

2014年12月の記事、
加筆修正して再更新。
 
 
この時の俺、
怒りは感じ切れてたみたいだけど、
その下にあるかなしみってのは、
よくわからなかったんだよな、
きっと。
 
 
それでも、
このときの俺には
「よくやったね」って今でも言える。
はじめてだったから。
こんな風に
はっきりと意思表示ができたのは。
 
 
だけど、
その後同じようなことがあっても、
なかなか言えない場面もあり、
小さい頃から溜めてきた、
こういったかなしみやさみしさが、
今大噴出中。
 
 
少しずつ少しずつ、
文字にすることで解放させていきます。



゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,★゚・:,。゚
 
 

こんばんは。
男性カラーセラピストの

まるのすけです。


ここのところ、
ものすごい勢いで
変化が起こっています。
気付きの連続。

 
日々、どんどん変化していくので、
ブログ書くのが
追っつかないんだけど(笑)、
これは自分のためにも
書き残しておきたいので、
書いておきます。


これまた2週間ぐらい前の話。
ヨガスクールでの出来事でした。
その日は1日だけ担当の先生の授業で、
午前中は真面目に
授業を聴いていたのですが、
昼休みが終わってしばらくして、
事件は起こりました。


どんな話だったかは
もうかなりうろ覚えなのですが・・・
あ、思い出した。


指の組み方で右(or左)脳優位か
調べるやり方知ってる?
みたいな話になって、
女(男)は右(左)脳優位と
言われてるけど・・・



オカマは
どっちかしらね?フフ



みたいな発言を先生がされたのですよ。
で、それにつられて(?)、
プッて笑う子も何人かいて。


「フフ」って言ってたかは
定かではないのだけれど、
俺にはそう聴こえたの。
エネルギー的にはそう聴こえたの!!


それまで超真面目に授業聴いてたのに、
一転。
もんのすごく不快な気持ちになり、
全く授業は聴かなくなり、
そっぽ向いてボーっとしたり、寝たり。


心の中では、



この
くっそばばあ!
ざけんな!!




などなど口汚い言葉たちが満ち満ちて、
相当興奮してました。
心拍数もかなり上がってたと思う。


かなりしばらく
その感情を味わっていたら、
怒りの感情は抜けていったのだけど…


先生に、



さっきのあなたの発言は
非常に不快でした



と伝えたい。


そんな自分がいました。


けれど、


別に自分が
直接バカにされたわけではない。
自分はオカマなわけでもない
(ゲイではあるがオカマではない)。
授業内容と直接関係ないことを
いちいち言わなくてもいい。
いちいちみんなの前で
そんなこと表明しなくていい。
言うなら授業終わってから
先生に直接言えばいいじゃない。


・・・だの何だの、囁く頭。


それでも言いたい。


学生時代から今まで、
同じようなことが
何度も何度も繰り返されてきた。
「ホモとかレズって気持ち悪いよね」
って嘲笑われたり、
時には個人的に中傷された。


個人的に言われる方がまだマシだった。
反撃しようと思えばできるから。


でも、例えば授業中とか
友達が集まって話してる時なんかに、
そういう「ホモネタ」になって
みんなが笑ってる時は、
一緒に笑ってるしかなかった。
一緒に笑わないと
自分がゲイだってバレるから。
もしバレたら、
いじめに遭う?無視される?
これからどうなる?
そんなことを考えると、
愛想笑いするほかはなかった。


自分で自分のこと、
嘲笑なんてしたくないのに
することほど、
辛くて辛くて
どうしようもないことは
なかったんだよ。


そんなことを思い出して、
ああ、これは周りに
どう思われようが関係ない、
先生に向かってどうのこうのとか
言われても知らん、


今まで辛くて辛くて
泣きたくても泣けなかった、
我慢してきた自分に対してごめんなさい
の気持ちと、


これからは
自分の想いに正直に生きるから、
俺が俺を守るから
の気持ちを込めて、


授業の最後の最後、先生に伝えました。
みんなの前で。


とても不快だったこと。
人前に立つような人なら
そういう話で笑いを取るようなことは
しないでほしい、ということ。
あなたの知らないところで
傷ついてる人が
沢山いるかもしれないということを。



自分では冷静に
言おうとしたつもりだったけど…
その前に別の質問で少しキレてしまい、
あとでクラスメートに
「怒ってたね」と言われた(^▽^;)


そこまでするのはホント怖くて怖くて、
身体も声も震えてて。


でも、言い切ったと同時に、
自分の何かが溶けたような気がした。
「よくやったね」って、
自分に言われたような気がした。


そこから、
何かがシフトチェンジしたようで、
生まれ変わったような、
そんな感覚になっています。
そして、日々どんどん
変化していってる今日この頃です。


結局、怖かったのは杞憂に終わり、
何人かのクラスメートからは
「話してくれてありがとう。
いろんなことに気付かせてもらった」
って言われたし、
先生からも直接謝罪された
(本心かわかんないけど(笑))。


でも、それも嬉しかったけど、
何より自分で自分を守れたことが
嬉しいの。


今まで、どこまでもどこまでも
自分で自分を傷つけてきた自分が、
ようやくようやく
自分を守ることができたから。


その大いなる一歩。
大いなる記念日。


俺もまだまだ40歳。
もっともっと自分のこと好きになって、
もっともっと自分のこと
大切にしていきます♡

【 イヤなものはイヤ 】を貫く覚悟。

アメブロ記事(2016/9/11)の再更新です。

 

おはようございます。

アクセスコンシャスネス®バーズファシリテーター、

アクセスコンシャスネス®バディプロセスファシリテーターの

まるのすけです。

 

 

書きたいことが

溢れ出て止まらない。

今日はリブログ祭りです(´∀`)

 

 

ameblo.jp

 

 

まずは愛するはるちゃーん(´∀`)!

以下、ブログから

抜粋させていただきましたm(_ _ )m

FBに関する記事。

 

 

意味不明なコメントは即消しです。

こうゆう時「織田信長」キャラに

なるんだよね、私。

女、子供構わずぶった斬る!

↑言葉こそ、おぞましいものの、

「嫌なもんは嫌なんだから

自分に遠慮しない」

を徹底してたりするんです。


しかもそのコメントは、

目立って悪意のあるものでは

なかったりすると、

判断はめんどくさいです。

でも、「嫌なもんは嫌」を貫く。

 

 

まさに俺が

これからしようとしてたこと、

まんま書いてありましたー!

ウケる(≧∇≦)

 

 

俺もついに

徹底することにしたのです。

 

 

 

イヤなものは

イヤだ!

 

 

 

と。

 

 

それが言えずに積もり積もって、

今回「石」となって表れたのでは、

というのが俺の見解。

 

 

今まで

そんなことしたことないから、

どうなるか怖いけど。

さっきもイメージしただけで、

カラダがガクガク震えた(笑)

 

 

でも、

(自分にとって)

意味不明な嫌なコメント残して、

FB見る度にそれを目にして、

そこで使われるエネルギーといったら!

 

 

もったいない!

そんなところに俺のエネルギー、

もう1ミリたりとも使いたくない!

ってのが本音。

 

 

だから、

怖くても

カラダがガクガク震えようとも、

それら全部味わいきって、

自分にエネルギー注いでいきまーす。

 

 

・・・というわけで、

意味不なコメント、

消しに行ってきまーす。

こ、怖い・・・(((( ;°Д°))))