人生は「ニャン!」とでもなる。

神奈川在住、アラフォーゲイのブログ。心理占星術/潜在数秘術®/エサレン®ボディーワーク

元ノンケです、と言っても誰も信じてくれない。

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当初のこの記事のタイトルは「おっぱい星人だった僕」だったのですが、削除とかされたらイヤだな、と思って無難なタイトルにしておきましたw

 

いまでこそ男性のカラダにしか目がいかず、女性のカラダには目もくれない僕なのですが、なんと小学生の頃の一時期、僕はおっぱい星人だったのです!おっぱいに興奮していたのです!なぜこのようになったのか、さっぱりわからないのだけれども。

 

なぜ「おっぱい星人」だったのかというと、強烈な記憶が残っているんです。あれは確か小学校4年生ぐらいだったかな?僕の家では毎年恒例、夏休みに2泊3日で家族旅行するのがお決まりとなってました。それは、そこでの出来事。

 

ホテルの部屋でふと見つけた、父親が買った週刊誌。パラパラ中をめくると、そこには女性の裸、裸、裸・・・確か「週刊ポスト」的なそこまで下ネタ満載の週刊誌ではなかったと思うんだけど、「女子大生たちに海でちょっぴり脱いでもらっちゃいました♡」的な特集だった覚えが。

 

同じ部屋に家族がいるのに、どうやって裸のページを見続けたかは覚えてないんだけど、部屋の隅でこっそり見ていたんだと思う。だけど、きっと見つかっていたのではないかと思う(笑)。知らんけど。

 

僕はその特集を何度か?何度も?それもどっちか覚えてないのだけれど、複数回見た記憶は残っている。おそらく、そういうものを見たのが初めてだったからかもしれない。ゲイ雑誌だって初めて見た時の衝撃はものすごかったけど、いまはなんとも思わない、そんなもの。

 

複数回見たのはさておき、僕はその後、衝撃の行動に出たんです。その行動とは一体・・・?!

 

それは、なんと、なんと・・・

 

 

女性の乳首にツバをつけ始めた

 

  

マーキングだったんですかね。その真意はいまの僕にはわかりません(汗)。 一体何がしたかったんだろう(笑)。だけど、理由や目的はさておき、それをしたことはいまでも鮮明に覚えているのです。

 

いまとなっては全く考えられない事実。ありえない出来事。女性の裸が見たいだなんて、つゆとも思わないからねー。

 

しかしその後、女性の裸を見て興奮したという記憶はないんだな。その週刊誌を見て興奮したのが、僕の記憶の中では最初で最後。小学生の僕はそんな行動をとっていたのに、なぜいま僕はゲイなのかも謎に包まれております。ゲイだろうがなんだろうが、いまは楽しくて幸せだからいいけどね~。

 

こんなこともあったけど、ゲイ友に「前はノンケだったんだよー」って言っても、誰も信じてくれません。ま、童貞だしね。女性とキスもしたことないしね(ほっぺにチューされたことあるけど。しかし、気分のいいものではなかったなぁ・・・)。おそらく今後もすることはないであろう・・・

 

 

 

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生産性には、生産性で返せばいい。

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先日、noteにこんな記事を書きました。

 

 

「生産性」に関しては、あまり触れなかったんですよ。そこよりも、他に気になる箇所があったから。そして、この話はもう書くまいと思っていたんですが、ちょうどいいYoutubeの動画を知ったので、簡単に書いてみたいと思います。

 

 

国連広報センターによる動画です。なんとアップされたのは2年半前。いままでこの動画の存在、全く知りませんでした。動画の概要には以下のように記載されています。

 

レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダー(LGBT)の人々を社会から­排除するとどんな損失が生まれるのでしょう?

LGBTの人々の貧困、ホームレス、うつ、自殺の割合は、そうでない人々より高いこと­が分かっています。しかし、その代償はLGBTの人々だけが払うわけではありません。­私たちすべてにその負担がのしかかるのです。家を追い出され、教育の機会から見放され­たすべての子どもたちは社会の損失です。

LGBTの労働者の権利を否定することは、­より公正でより生産性の高い経済の機会の損失なのです。これらの損失は私たち自らが招いたものです。しかし適正な法律や政策、そしてこれまでと違った考え方­で、私たちはもっと自由で平等な世界を築くことができます。そうすることで、私たちはより繁栄した世界を築くことができるのです。

 

生産性がないと言うのなら、こうして違った切り口で生産性について語ってあげればいい。LGBTに対する差別は、インドの経済規模と同様の年間320億ドルに及ぶ損失を生み出すとのこと。これは世界レベルの話だけど、日本でも相当の損失は出ているはず。

 

「日本では『排除』はしていないのでは?」というひともいるかもしれない。けれど、排除とまではいかなくても、自殺未遂率やうつの割合は高いと言われています。だとしたら、損失という観点からは同じことが言えるのではないでしょうか。

 

以前、僕は別ブログでこんなことを書きました。

 

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一橋大学の大学院生がアウティングによって自殺してしまった事件について書いた記事です。

 

彼がもし生きていたら、
出会うはずだったひとたち、
出会うはずだった世界、
出会うはずだった可能性。

どれだけ沢山のものごとを
彼は目に、耳に、手に
することができたのか。
ココロに刻むことができたのか。

彼と出会っただろうひとたちが
彼の影響でどれだけ変化し、
どれだけの貢献を受け取ることが
できただろうか…

 

こんなことを僕は書きました。そして、いまでもその思いは変わりません。僕も自殺未遂はしたことはなけれども、自殺したいという気持ちはもう何度も何度も何度も何度も…数えきれないぐらい抱いたことがありました。だけどいまはとても幸せだから、「生きていてくれたら」と思うわけなのです。

 

話は戻りますが、杉田議員が「生産性」を「子供を作ること」としか定義していないのであれば仕方ないけれど、もっと大きな視点で「生産性」について語ることはできないものなのでしょうか。一部の議員さんたちって、「伝統的な家族観」に固執しているようにしか思えず、視野が狭いと思わざるを得ないのです。

 

つづきはnoteで…

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僕がはじめてオトコを意識したのは。

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僕がはじめてオトコを意識したのは、小学校2年生の時だった。相手は2歳年上、姉の同級生だった。

 

当時、僕はイヤイヤ剣道をやらされていた。(母に聴くと「あなたがやりたいと言ったからやらせた」と言っているが、「やりたい」といった記憶は全くないw)。僕が意識した相手は、同じ道場に通っていた。ただ、学年も違うし、僕は当時極度の人見知りだったため、普段の練習では彼とは全く接点を持たなかった。

 

2年生の夏、夏合宿が行われた。そこで僕は彼と同部屋になることになる。…って、先に書いとくけど、ドキドキすることとかは何もなかったから(笑)

 

合宿といっても、夜は全くの自由時間だった。人見知りなうえ、おとなしかったはずの僕は、気が付いたら彼と一緒に騒ぎ始め、彼の後をついて他の部屋に行ったり、歌ったり踊ったりしていた(笑)

 

僕は3人兄弟の真ん中で、上が姉・下が弟という構成で、しかも家の近所には女の子しかいなかったこともあり、年上の男のひとと遊ぶというのはそれがはじめての経験だった(と思う)。

 

頼りになるお兄ちゃん的なひとと過ごす時間は、僕にとってはとっても新鮮で、また安心安全な感覚をもたらしてくれた。スキンシップがあったわけではなかった(と思う)が、ホッと安らいだ感覚がそこにはあった。一緒に遊ぶのが楽しくて楽しくて、このまま時間が止まってくれればいいのに、この時間が終わらないでいてくれたらいいのに、と思っていた。

 

終わらないはずももなく、たった1泊の合宿だったので、翌日には家に帰宅することになりましたが(泣)。彼と遊んだのはそれが最初で最後。その後道場で会っても特に遊ぶことなどなく、何もありませんでした。

 

僕がゲイデビューを果たした20歳の頃、彼と同じような年上の頼れるお兄ちゃん的なひとがタイプでした。それはこの小学校2年生の出来事が原点だったのかもしれません。いまは年齢も気にしないし、タイプなんてあるようでないようなものなんだけど。

 

書いててあんまり面白い記事じゃなかったけど、自分がゲイとしてどう人生を歩んできたか振り返るべく、「自分と性」をテーマにできれば毎日更新していきたいと思いまーす。毎日なんて、書けるかな(笑)?つか、早く自己紹介を修正せねば!

 

 

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ゲイだから不幸だとか、決めつけないでくれ。

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生産性。

今年の流行語大賞にでもなってしまいそうな、今が旬のこのワード。自民党・杉田水脈衆議院議員が「新潮45」に寄稿した記事の中の言葉です。

全文はこちら↓

記事の全体的な考察は後ほど述べたいと思うのですが、まずは「生産性」に関する部分を抜粋。

例えば、子育て支援や子供ができなカップルへの不妊治療に税金を使うというのであれば、少子化対策のためにお金を使うという大義名分があります。しかし、LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり「生産性」がないのです。そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか。にもかかわらず、行政がLGBTに関する条例や要項を発表するたびにもてはやすマスコミがいるから、政治家が人気とり政策になると勘違いしてしまうのです。

ということなのですが、僕がこのニュースを知ったとき、怒りの感情は特に湧かなかったんですよ。最初に浮かんだのは「また(こんなこと言うヤツが出てきた)かー」「頭悪っ!!(←こんなこと書いたら、ある程度のバッシングは予想がつくはず。もしかしたらそれすら計算済だった可能性もありますが)」でした。自分でも驚くほどに、感情が動かなかったんです。

そしていま、この方に思うのは、

 

「残念なひとだ」

 

これに尽きます。

昨日、彼女が寄稿した記事全文を読んで、その思いはさらに強くなりました。

「生産性」という言葉が独り歩きしている印象を持っていたこと、また、Twitterで「杉田議員の記事全文を読めば、杉田議員を賛同したり擁護する人の気持ちもわかるはず」というツイートを読んだこともあり、昨夜、記事全文を探して読んでみたんです(↑のリンクから読んでみてくださいね)。

そしたらなんとまあ!賛同や擁護するどころか、

 

残念!!!!!

 

開いた口が塞がりませんでした(笑)。こんなひとに国家の運営はしてほしくないな、というのが正直な感想でした。

ホント、ツッコミどころ満載で(トホホ…)。だけど、全部書いたらキリがないので、いちばん書きたいことだけ書きます。最も僕が気になったのは以下の部分。

一方、LGBは性的嗜好の話です。以前にも書いたことがありますが、私は中高一貫の女子校で、まわりに男性はいませんでした。女子校では、同級生や先輩といった女性が疑似恋愛の対象になります。ただ、それは一過性のもので、成長するにつれ、みんな男性と恋愛して、普通に結婚していきました。マスメディアが「多様性の時代だから、女性(男性)が女性(男性)を好きになっても当然」と報道することがいいことなのかどうか。普通に恋愛して結婚できる人まで、「これ(同性愛)でいいんだ」と、不幸な人を増やすことにつながりかねません。

まず最初の「性的嗜好」というのが間違っているんですが、それは置いといて(正しくは「性的指向」です。寄稿前に勉強してほしいですね。もしくは校正の方、気付いて直してくださいな)。

普通に恋愛して結婚できる人まで、「これ(同性愛)でいいんだ」と、不幸な人を増やすことにつながりかねません。

何をもって「普通」と定義するんだ!という思いを、僕はゲイだと自覚した大学生のころから常々思ってきたので、まずそこに引っかかりを感じるのだけれど、そこもすっ飛ばします。その後です。


「これ(同性愛)でいいんだ」と、不幸な人を増やすことにつながりかねません。

何それ。同性愛者は不幸だと?

 

同性愛者を勝手に不幸扱いしてんじゃねぇよ!
俺はゲイだけど、いま幸せに生きてんだよ!!

 

 

つづきはnoteでね↓

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このブログの行方。

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Facebookとこのブログの連携がずっと取れなくて、結局元のアメブロを更新し始めたので、このブログの存在意義はどこへ・・・という今日この頃です。

  

が、せっかくお金払ってPROにしたので、このブログを使わない手はない。

 

アメブロは主に人生論みたいなことばかり書いているので、こちらはニッチなゲイネタでも書いていこうかな、と思い立ちました。せっかくゲイブログリンクというのにも入っているし。

 

 昨日、とあるセッションを受けたときに「ゲイなんです」と伝えたら、「どっちもイケるでしょ。肉体としてはそうなだけで。どっちもどころか、動物もイケるし、植物も・・・固形物もイケるかな。岩とか木とか」と言われ、大きく頷いた僕です(笑)

 

 

僕は今年で44歳を迎える。ゲイとしてデビューして、24周年。その間、この国でのゲイ事情は大きく様変わりしました。おそらく、僕の年代かもうちょい上の世代ぐらいまでがいちばんその激変ぶりを経験してるんだよね。ゲイの出会いはいまではスマホアプリが主流だけど、デビュー当時は雑誌の文通欄や伝言ダイヤルなんてものをよく使っていた(若い子たちは知らないだろうが)。 

 

いままでの自分の人生の中で、自分のセクシャリティをものすごく大きな位置付けにしてきたけど、ようやく「ものすごく大きな」ものではなくなったいま(まだ「大きな」ものではあるけれど)、一旦、自分の人生を振り返る意味も込めて、「ゲイと自分の半生」みたいなものでも綴っていってみたい。

 

気まぐれだから、すぐにやめるかもしれんけどねw 

 

アメブロにnoteにはてブロと3つ同時進行だから、マイペースでぼちぼちやっていきまーす。プーだから毎日書こうと思えば書けるけど。

 

 

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再始動。

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4年ぶりに長期の引きこもりを経験しています。仕事はちょいちょいやってるけどね。死なない程度に。

 

 

引きこもりのきっかけとなったのは、皮膚疾患。4年前もそうだった。4年前は本当にひどくてひどくて、一部表皮がなくなってしまったようになり、浸出液がとめどなく溢れる様を見ては、ため息をつく毎日だった。

 

 

今回はそれと比較したら全然ひどくはないのだけれど、僕の生きる意欲を喪失させるには十分なものだった。

 

 

4年前と同様、僕はとことん引きこもってみた。ただひたすらに、ダラダラと。「お前はダメ人間だ」という罵声が脳内に鳴り響くのが消えるまで。

 

 

4年前、僕はまだ30代だった。しかし、いまの僕は40代。40代になって引きこもり?そんなの許されると思ってるの?自分なのか、自分じゃないのかわからない声が頭の中をこだまする。

 

 

ひたすら食べて、寝て、本読んで、近所を徘徊して、ネットサーフィンして、ボーっとしていたら、その声はいつしか消えた。

 

 

僕は僕でしかないのだから、僕以上にはなりえない。

 

 

いつの間にか僕はまた、自分以外の何者かになろうとしていたのだった。自分以外の誰かがつくった、偽りの自分像。もう、自分以外の誰かに、自分の人生を明け渡す。そんな癖は、もう要らない。

 

 

しばらく引きこもったところで、ようやくエネルギーが漲ってきたので、少しずつ表現活動を再開していきます。過集中してできたワードプレスでつくったブログは、自分のコンセプトとはなにかが違うため、やめました。今後はこのはてなブログとnoteから発信していきます。

 

 

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noteの使い勝手、そして居心地が想像していた以上に素晴らしいので、これからはブログよりもnote中心になっていくかも。noteってクリエイターさんが多いせいか、創造力がめちゃめちゃ刺激される上、いろんな意見を受け入れる土壌ができてるんだよね。自分にとっても合っている感覚。

 

 

とはいえ、こちらもどうぞお忘れなく。アメブロは…放置していく流れになりそうです。

無駄な抵抗はやめなさい。

WordPress記事(2018/4/23)の再更新です。

 

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先々週ぐらいから「何もしない」ことを意識したら少し調子が良くなりました。そんなわけで、ちょっと動き始めたら途端にまた動けない状況になったので、もう観念して徹底的に何もしないことに。

必要最低限の仕事と友達との予定を除いて、ひたすら家でダラダラしています。完全に引きこもり状態。やりたくないことやったり、思考使ったりすると途端に調子悪くなるから、好きな本読むかカラオケ行くか、ひたすらボーっとするか、そんな感じの毎日。

いままではこんな状況に陥ると、お金の不安が出てくるもんだから、それを払拭するために無理して仕事した。で、今回は同じようにしたら、完全にストップがかかって、思ったように仕事できなくなっちゃったの。

こりゃ完全に

無駄な抵抗はやめなさい

ってことなんだろうな、抗うのはやめておとなしくしよう。と思って、おとなしくしてたら、お金の不安も出てこなくなった(現実的にはひとに言えたような状況じゃないんだけど、どうすることもできないんだもん)。

先週からあるコンサルを受けてるんだけど、そこで思い込みやら信念やらを洗い出すワークやったら、「そんなのあったんかい!!」ってのがゴッソリ出てきたの。それに気づいただけで、流れが一気に変わってきた。

気付いた直後は愕然としたけどね。数日はショックでなーんも手につかなかった。けど、ようやく吹っ切れてこれた。いま、星の流れ的にもものすごい変化の時期なのね。

 

 

引用元:毒舌深井香織の星読み開運クラブ

 

 

T冥王星→N土星に180度、ASCに180度、キロンに90度、月に150度
T天王星→N天王星に180度、水星に180度
T土星→N冥王星に90度、MCに90度
T木星→N月に90度、キロンに150度

 

西洋占星術やってるひとならわかると思うけど、

一体何の仕打ちですか

という状況(笑)。でもね、今回に書いた思い込みに気付いて、「あ、いままでの俺は完全に死んで、新しい俺に生まれ変わるんだ」ってはじめて思えたの。星読みのセッションでそう言われて頭ではわかってたことが、ここに来てようやく腑に落ちて。

だからね、もう完全に委ねることにしたの。無駄な足掻きはしない。流れに任せる。

というわけで、しばらく自由気ままに暮らします。

木々たちとの会話

アメブロ記事(2018/2/18)の再更新です。

 

おはようございます。

アクセスコンシャスネス™バーズファシリテーターの

まるのすけです。

 

 

いよいよ頭がおかしくなったか?

と思う方は

そっと画面を閉じて

立ち去ってくださいね(笑)

 

 

昨日、

銀行に用があって歩いていて、

「今ホントは何がしたい?」

って自分に問うたら

「自然が見たい。公園行きたい」

って出てきたので、

銀行行ってから

近所の公園に行ってきました。

 

 

駅から歩いてすぐのところに

でっかい公園があるなんて

なんていい街なんだ、相模大野って!

 

 

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青い空と白い雲の

コントラストの切れ目(笑)とかを

しげしげと眺めながら歩いていたら

聴こえてきた、こんな声。

 

 

 

元気になったね

 

 

 

?!

近くには、誰もいない。

 

 

 

この間見たときは

元気なかったから

みんなで

「このひと大丈夫かな?」

って言ってたんだよ

 

 

 

周りには、木しかない(笑)

 

 

そして、

先週どうしようもなくなった時に

散歩に来てたんだよね。

さぞ暗い顔をしていたことでしょう(笑)

 

 

 

僕たちはずっとここで

君を見守っているから。

また来てね。

 

 

 

一連の(妄想かもしれない)

木々たちとの会話を聴いたら、

周りのすべてから意識を感じて、

ただそこにいるだけで

喜びと感謝が溢れてきて、

ぶわーっと泣きそうになった。

実際には泣かなかったけどね。

 

 

木々たちにお礼を言って

公園を出て歩いていたら、

梅の花がもう咲いてた。

 

 

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忙しい忙しい言ったり

スマホばっかり

気にして歩いてたここ数カ月、

こんな景色には気付けず

通り過ぎちゃってた。

 

 

ちょっと急いだところで、

人生のたった何秒?何分?

たいして変わりはしないよね。

 

 

もっとのんびり、

もっと余裕を持って

人生を歩んでいきたい。

 

 

また公園行って、

今度はゆっくり木々たちと

話してこようっと♡

マイノリティであることを、弱みから武器に変える。

アメブロ記事(2017/11/9)の再更新です。

 

こんばんは。

アクセスコンシャスネス™バーズファシリテーターの

まるのすけです。

 

 

一昨日始めた

クラウドファンディング、

じわじわと支援の輪が

広がっています。

ありがとうございます。

 

 

支援してくれたうちのひとり、

kikkaさん

FBで今回のCFのことを

シェアしてくれたんですが、

それがものすごくうれしくて。

 

 

他にも沢山の方々に

シェアしていただいていて、

それもとてもうれしかったんですが、

kikkaさんは僕が感じてること、

言いたかったことを

的確に表現されていて!

 

 

テレパシーでも

使えるのではないかと

思ったぐらい(笑)

 

 

というのは冗談なのだけど、

 

去年の秋、

全身全霊を込めて書いた記事

覚えてくれていて

うれしかったなー。

 

 

そのkikkaさんがね、

FBの中で

 

 

 

「ゲイであること」を
完全に強みにしてる!

すごい!!

 

 

 

と書いてました。

 

 

はい。

完全に強みにしてます。

これは狙ってやってます。

 

 

マイノリティというのは

弱みなんかじゃない。

武器になるんですよ。

 

 

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まあ、

こう思えるまでに

何十年もの歳月を

費やしたけどね・・・

 

 

初めて自分がゲイであると

自覚したとき、

僕の目の前は真っ暗でした。

 

 

それまで、

 

 

いい高校に入って

いい大学に入って

いい会社に入って

結婚して

家族を作って

・・・

 

 

みたいな価値観を

植えつけられて

育って来たから。

 

 

あれ?

そのレールには

もう乗れなくなるじゃん。

みんなと違う人生になるの?

普通の人生歩めなくなるの?

怖い・・・怖い・・・

 

 

今となっては

「何をもって『普通』なんだ」

って思うけど、

当時は普通じゃなくなる恐怖が

尋常ではなくて。

 

 

それだけじゃなくて、

ゲイだと自覚しても、

誰にも言えなかったしね。

しばらくゲイの友達も

できなかったし。

ようやくネットが普及し出した頃。

 

 

あの頃、

お先真っ暗だった自分と比べたら

今の自分は相当変わったと思う。

そう考えたら、

本当に強くなったと思う。

 

 

でも、まだまだ弱い。

弱いことが惨めなことだとか

良くないことだとは思ってないけど、

もっともっと強くなりたいし、

もっともっと強くなれると思う。

 


同じにしないでと

思うかもしれないけど、

僕と同じような

「マイノリティ」の方へ。

 

 

マイノリティは

弱みでも何でもない。

マイノリティであるからこそ

感じられること。

考えられること。

気付けること。

それってある意味

僕らの武器です。宝物です。

 

 

マイノリティであることって

怖いと思うかもしれないね。

時代は変わってきてるとはいえ、

日本って

とっても同調圧力が強いから。

 

 

僕は首都圏に住んでるから

まだマシかもしれないけど、

地方はさらに

その圧力が強いと感じてます。

 

 

でもね、

マイノリティ性って

誰もが持ってるんじゃないかと

思うのです。

 

 

特に「性」のことなんて

顕著なんだよね。

そういう仕事してきたのもあるし、

誰にも言えない秘密を

抱えてるひとが少なくないのは

知ってる。

 

 

でね、

「性」のことに限らず、

どのマイノリティ性も

角度を変えれば武器になるし、

視点を変えれば宝物になります。

 


そんな視点で人生生きていったら、

どれだけのことを創造できるか。

どれだけ自分を変えることができて

どれだけ社会や世界に貢献できるか。

 

 

生かすも殺すも自分次第。

できればね、

ゲイが強みである社会なんて

早く終わってほしいと思うけど、

それまでは強みとして

「使って」いきたいと思います。

 

 

ゲイ、万歳!!

「嫌なモノは『嫌だ』」と言う勇気。

アメブロ記事(2017/10/7)の再更新です。

 

こんばんは。

アクセスコンシャスネス™バーズファシリテーターの

まるのすけです。

 

 

これから書く記事、

書こうかどうか

しばらく迷っていたんだけど、

書かないのもモヤモヤするから

書いちまいます。

 

 

先日ちょっとだけ触れたけど、

こいつに関すること↓

 

 

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いつ見ても気持ちが悪い。

 

 

これがさ、

自然体なひとなら

別に気持ち悪いとは思わないよ。

 

 

じゃなくて、

わざとあえて

気持ち悪さの極限に挑戦、

みたいなのが

この上なく気持ち悪い。

 

 

なんでこんなの書くかと言うと、

先日テレビでこのひとが

17年ぶりに復活したわけなんですわ。

 

 

関連記事↓

 

「保毛男田保毛男」批判に、

フジ・宮内社長が謝罪

 

 

 

俺は実際

番組を観てなかったから

なんとも言えないんだけど、

確かにこのキャラを

登場させる時点で時代錯誤かな、

とは思いました。

 

 

世相的にもこんなの出したら

確実に炎上するのわかるじゃん。

もしかしたら、

あえてやったのかも?

とも思ったけど。

 

 

で、案の定炎上したんだけど、

俺が気になったのは、

それに対して

「過剰反応」と捉えるひとたち。

 

 

 

嫌なモノを嫌と言って

何か悪いことでもある?

 

 

 

ぶたれて痛いときに

「痛い。やめてくれ。」

って言うのと同じじゃない?

 

 

それに対して過剰反応と

捉える意味がわからない。

 

 

もしもだよ、

(これはストレートのひとに

向けて書いております)

 

 

この世界の

異性愛者と同性愛者の割合が

逆転して、

男女が愛し合うことが

気持ち悪く思われて

バラエティ番組でパロディ化されて

嘲笑の対象となったとしたら?

 

 

それでも嫌だと思わない?

それに対して「嫌」と言ったとして、

それを「過剰反応」だと言われたら?

 

 

まあ、

「もしも」の話ではあるけど。

 

 

今回

この件に抗議した当事者の多くは

当時…

特に学生だったひととかは

どこにも気持ちをぶつけられなくて

辛かったんじゃないかと

思うんだよね。

 

 

でも、

今回は「嫌だ!」って

しっかりはっきり

意思表示できたわけでしょう?

その勇気を俺は称えたいと思う。

 

 

他にもこの件に関しては

書きたいことはあるが、

キリがないのでやめておく(笑)

 

 

でもさ、

表現の自由と言うひともいるけど、

こんな形で笑いを取るより、

もっと明るい笑いを提供するのが

本物の芸人なんじゃないの?

 

 

自虐ネタぐらいならいいけど、

誰かを嘲笑ったりとか

暴力振るったりとか

そんなネタで

笑い取るとかって

正直時代遅れだと思います。

 

 

きっとこれからそういう方向に

どんどん向かっていくんだとは

思うけど。